TOQは骨の髄までヤマトなんだなぁ
つくづくそう実感させていただきました。
同時にまた「ヤマト」ときいただけで、胸をアツくしてしまう
全国の”同志”の存在を目の当たりにして、
本当にウレしかったです。
2025年3月15日から、東京渋谷・西武A館でスタートした
庵野秀明プロデュース
放送開始50年記念
「宇宙戦艦ヤマト 全記録展」

その開催を知ったときから、もう居ても立ってもいられずに
開催初日の14時の回のチケットを購入して行ってきました!
記事の公開がタイムリーにできなかったので、展示残り期間
(ヤマト風に)
急げファンよ、西武A館へ!
展示終了と言われるその日まで
あと7日しかないのだ!!
という状態になってしまいましたが、、 (渋谷での開催は3月31日まで)
誰が何と言おうと、ニッポンの本格的な「アニメ」
そのスタートは「ヤマト」です。
庵野さんもこう言っています。
(今回のヤマト展の入り口に掲げられたご挨拶より)
日本の「アニメ」は、半世紀前の1974年10月6日に放送された 「宇宙戦艦ヤマト」から始まりました。 その時「宇宙戦艦ヤマト」というエポックな作品に出会わなければ、 今の自分は無かったと思います。 (後略) 半世紀前からの宇宙戦艦ヤマトファン 庵野秀明 |
「宇宙戦艦ヤマト」は、
まだ「アニメーション」というコトバが一般的ではなかった当時、
世間に「アニメーションを見る」ということを認めさせる大きな
ムーヴメントにつながる第1歩になった記念すべき作品なのです!
これをボクらは「アニメの市民権」と呼んでいた。
堂々とアニメを観て、アニメについて誰に憚ることなく語る。
まだ、そんなことすら世間では認められていない。
―というか、
そんな権利がボクたちにあること自体にさえ気付いていない
そんな状況。。。
それが 「ヤマト」以降は変わったのだ!!!
もちろん、一挙にではないけれど―
第1作の映画が空前のヒットとなり、一部で市民権を得た後、
シリーズの2作目が放映を始めた頃、高校生の時期が重なる
TOQは同級生たちと毎日のようにヤマトの話に明け暮れた。
そしてよくこう言っていた。
「ようやく、市民権を得てきたね。まだ、少しだけど、、」
今回の展示をみて 一層その思いを強くしました。
当時のスタッフたちが本気で取り組んで、自身のアツい想いを
「ヤマト」という作品にブツけていたからこそ、見ている方も
テレビという画面を通じて、その想いを確実に受け取ったのだ!
そして、
50年という時を経てもなお、胸をアツくする同志の姿がある!
たとえ入場待ちの列が長く伸び、7階フロアの階段からさらに
何フロア分も上の方まで続いていようとも、待ち続ける間にも
当時と同じテンションで、一緒に来た仲間とアツく語ってます。
古代が、森雪が、島大介が、そして沖田艦長がと・・・
実は
待っている間に、会場の係員の方から説明がありました。
それはファンにとって、福音とも言えるお知らせでした。
なんと「会場内は撮影自由です」
というのです!!!
ただし、動画による撮影は禁止です。
それ以外の写真ならば、いくら撮影しても構わない☆☆
中には本格的なカメラを持ち込んでいる人もいましたが、
一切のお咎めナシ。
昨今、撮った写真はSNSにアップされて世の中に広まる
流れだと思いますが、それも黙認されるということ??
むしろ、積極的に広報してほしいということか??
なので、
当日は写真を撮りまくりっっ
暗黙のお許しを得て、ここでしか見ることのできない
貴重な展示物のごく一部をこの場で公開させてもらいます。
たとえば、これは映画第1作のポスターですね。

あとは、ヤマト背面の原画に「色指定」がされてるものとか、、

ただし、普通に写真をみせても面白くない!!
以下では
そんなTOQが撮りまくった中から、マニアックな視線で
選りすぐったものを紹介します。
主催者側が、ヤマトのファンに向け発信してるメッセージ。
それは展示物のセレクトに如実に現れていました!思わず
マニアでさえ唸ってしまうようなセレクトだったのですが、
そんな中で特にTOQの心に強く響いたもの。
それは、テレビ第1作放映当時の「絵コンテ」です。
当時を知る人なら、思わずこんなものが残っていたのか!
と驚愕すること間違いなし!の名場面の数々が展示されて
いたのですが、その中でTOQの感性でセレクトしたもの
をご紹介します。
宇宙戦艦ヤマトに縁のない人にとっては???な代物かも
しれませんが、かつてテレビで見たことがある人 (同志!!)
なら「おぉっっ!??」となるセレクトだと思いますよ(^o^)b
第1話より「馬鹿めと言ってやれ」
![]() | 通信士「返信はどうしますか?」 沖田(OFFで) 「馬鹿めといってやれ」 通信士「はぁ?」 沖田「馬鹿めだ!!!」 |
へと飛び立つ前、やがて艦長となる沖田が地球の防衛艦で
指揮を執っていた頃、敵艦のガミラス側からの入電があり、
「貴艦ハ速ヤカ二降伏スベシ」と打電されてきたのだ。が
それに対して、沖田は毅然として「馬鹿め!」と返信した!
だが、ガミラス艦との戦力の差は歴然としたものがあり、
「この艦では戦えない。。。」
敵艦の攻撃で大破した艦を去る沖田はそう嘆く、、
という一連のシーンの絵コンテで、まさにキモの部分です!!
本当に50年も前のものが、よくぞ残っていてくれました!!!
松本零士先生の真骨頂!! 「ヤマト第1艦橋」の原画

これは、絵コンテではないけれどハズせませんね。OPで第1艦橋の全景が映し出されて、
手前の艦長席がグーっと迫り上がってくるのが、ほんとカッコよかった!
宇宙での長い航海が続く沖田を、少しづつ病魔が蝕んでゆく。
あるとき部屋で倒れた沖田は、第1艦橋に降りるのが遅れた。
佐渡先生「艦長!入院してください」

沖田艦長に入院を勧める佐渡先生
佐渡「地球を出発するとき、あなたの検査データを見ました。
酒を喰らい酔ってはいても、佐渡酒造
目は曇ってはいませんぞ」
沖田「入院は出来ん」
佐渡「艦長!」
沖田「私には艦を動かす責任がある」
佐渡(OFFで)
「だが現に今、ミサイル発射の指令が遅れたのでしょう?」
沖田「!!・・・・・」
佐渡「指揮官としての実務に差し支えるようになったら
どうするんです!」
佐渡「入院して下さい」
・・やがて、沖田は実務を離れ、古代が艦長代理に就くことに
そして、ガミラス星での攻防へ。デスラー総統の仕掛けた罠に
ハマり窮地に陥った古代が、病床の沖田に助言を求める場面だ。
古代「沖田さん、教えてください」沖田「海へ潜るんだ」

沖田に助言を求める古代
(ワシはもう艦長ではないという沖田に)
古代「いいえ、艦長、教えて下さい!
ボクは・・
ボクは今、どうすればいいのか
わからないんです」
沖田「そうか、
じゃあひとつだけ言わせてもらおう」
沖田「海へ潜るのだよ」
古代「エェッ!硫酸の海へですか?!」
沖田「そうだ!」
古代「ヤマトが溶けてしまいます!」
沖田「5分や10分でなくなるものでもあるまい。
溶けきる前に鉱脈を探り出して波動砲で射て!」
古代「鉱脈といいますと?」
沖田「硫酸の海と言えども、元は美しい水だったには
違いない。それを硫酸に変えたものは何だ」
沖田「おそらく地殻内部の硫化火山脈だろう
そこを射ち抜いてガミラスの地上に火山活動
を誘発させるのだ」
沖田「反撃の機会を掴むにはそれしかない」
果たして、アナライザーが鉱脈を探し出したときヤマトの大スクリーンに
投影されるガミラスの海底火山脈の原画がコレです。(ピンボケですが)
ガミラス星海底火山脈断面図

撮影したときには気がつきませんでしたが、右下には特徴的なサインが↑
なんと「松本零士先生」が自ら描いた原画だったのですね!!!
やがて
ヤマトがコスモクリーナDを無事受け取り、長い航海を終えて
地球に帰還しようとするとき、沖田艦長もまた役目を終えよう
としていた。。。
![]() | 地球か、 なにもかも皆なつかしい、 |
BGMに宮川泰さんの美しいメロディがまるでレクイエムの様に
静かに流れてきて、思わず涙してしまう名シーンです。
沖田「佐渡先生、しばらく1人にして下さらんか」
立ち去る佐渡先生の背中に沖田は声をかける
沖田「佐渡先生、
ありがとう」
1人になった沖田はポケットから家族の写真を取り出し
愛おしそうに愛でる。
そして、
窓の外に見える地球の姿に、こうつぶやくのです。
沖田「地球か、
なにもかも皆なつかしい、、」
やがて、写真がホロリと落ちていき、、
何かを感じて佐渡先生がドアを開けたとき、
その姿にハッとして取り乱しそうになるが、
すぐに敬礼して艦長を見送るのです。

その最期のシーンのセルが、背景とともに残っていました!
会場の強烈な照明が当たって、一部テカってしまっていますが、あの名シーンの再現を
撮ることが出来ました!!いや、ほんとうにこのシーンに再会できて大カンゲキでした!!!
まだまだ、お伝えしたいことはありますが、気になる方は今からでも是非渋谷に出向き
西武A館の展示をみてください。あ、でも土日は事前チケットがないと入場できません。
急いで、渋谷の展示は3/31までですよ!!